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2009年5月

酒浸りの3日間〜サマーバケーションと引き換え

シャブシャブっと、肉をお湯にくぐらせてポン酢と大根おろしに絡めてパクっといただくわけです。ほぼ、2年ぶりのしゃぶしゃぶ。アメリカで食べられるとは(涙)。ちょっと気になるのは豚肉ってことだけだったけれども、1年半のアメリカ生活で多少の事にはめげない胃腸を手に入れた(と思う)ので、多分大丈夫だろうと、これでもかってほど詰め込みました。至福である。

一緒に食べてたSさんは「限界だと思ってから、その2倍は食べられますよね」と。「そうか?」と思ったものの、実際やってみると確かに結構いけるもんだ。人生何事も簡単にあきらめてはいかん。まるでそう言われているかのようだった。Sさん、勉強になりました(何のだ?)。また、Sさんは旅行会社で働いているのだけれども、「観光案内してる時は限界だと思ってから、2時間はトイレ我慢できますよ」と。これはまねしたくないが、Sさんの精神力の強さに脱帽だ。くれぐれも膀胱炎だけには気をつけてもらいたいもんだ(大きなお世話だが)。

そして、次の日は男3人で「しっぽり」いきましょうよ、ということで近くのバーに飲みにいく事に。しっぽりって響きにエロさを感じてしまうのは間違ってるのか?しっぽりって言うとやっぱり演歌がかかってる店内で日本酒とか焼酎とか、そんなものを想像してしまうのだけれども、やはりそこはアメリカ。大量のビールとチーズやベーコンがたっぷりかかったフライドポテト。店内のテレビではアイスホッケーの試合。音楽はがんがん流れてる。落ち着かんのじゃ、ぼけぇ。と言ったところでどうにもならないので何も言わんが。飲み続ける事5時間半。今日はこんくらいにしといてやろう、という感じで終了。

3日目はアメリカ人、日本人入り交じって6人で近くのバーへ(しかも前日と同じバーだよ、とほほ)。会話は英語と日本語のチャンポンなんだけれども(アメリカ人2人ともちょっとは日本語がしゃべれるから)、友人B(アメリカ人)が店員さんに向かって、「なにそれ?(日本語)」。ちょっと間があったあと、大爆笑。Bの日本語もずいぶん上達したもんである。

今日はメモリアルデー。この週末からアメリカは夏休みが始まって、普通のアメリカ人は海や山へと出かけていったはずなのに、それなのに、ああ、それなのに。酒浸りじゃないですか。でも、いろんなレストランが、歩道にテーブルを出して、みんなそこでワインとかビールとか飲んでるとねえ。美味しそうなんだよねえ。明日も飲んじゃうのかなあ?この夏の間に肝臓が悪くならなければいいが。ふぅ。前途多難である。

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夢のような世界

戸棚を開けると、白くて少々大きめの皿の上に、何やら黄色や黒のつぶつぶが落ちているではないか。「なんだ、これは?」と思い、近づいてみると何と、のりたま!「なんでこんなもんが落っこってんのじゃー!」と思っていると、
「あ、それ、私」
「何でこぼしたら、片付けないんだよ」
「しょうがないでしょ。忙しかったんだから。片付ければいいんでしょ、片付ければ」
なぜだか手に持っていたおにぎりをぎゅうぎゅう押し付けて、皿の上ののりたまを白い握り飯にどんどん吸い付けていく。いつの間にか、床にも広がっていたのりたまも、ぐいぐい吸着させたあげく、
「食べる?」
「※▲◎□♥→」
声にならない叫びと、軽い(?)殺意を覚えたところで目が覚めた。
しかもその話をしたら、
「そんな、いかにも私がしそうな事を夢の中でもさせないでよ」とのたまった。
自覚症状はあるようだが、重症だ。

さて、今度の月曜日はメモリアルデー。日本語で言うと戦没者記念日といったところか。毎年5月の最終月曜日で、この辺りから9月のあたまのレイバーデーまでが何となく夏休みとして認識されているようだ。したがって、このおよそ3ヶ月間はアメリカは国家としての機能を失い、国民全体はビーチで日焼けやバーベキュー、水遊びなどに日々いそしまなければならない。そして、「あ〜、まだ夏休みボケが抜けないよね」という隙をついたのが9/11なのだ。というのは冗談だが、実際にこっちで働き始める前にも、大学の担当の人が一ヶ月休みを取っていたせいで、ビザ発行関連の仕事が全く進まず、本当に間に合うのか?と冷や汗をかいた覚えがある。恐るべしアメリカ。

しかし、「夏休み」という言葉自体は、普段仕事のことで一杯(であり、かつアルコール漬け)の頭に対して、十分すぎるほどの効果を持つ。気分はもう、スナフキンだ。放浪する準備はできている。もしくはぶらり途中下車の旅。心の中で滝口順平のナレーションが入ることだろう。

まずは、「地球の歩き方」を買うところから始めなければならない。アメリカの旅行ガイドは信用ならん。だいたい英語だし。しかし、「愛読書は地球の歩き方です」というほどは読まない。結構買っただけで満足している事も多いし、実際に有用な情報はインターネットで集めている事も多いからだ。ならなんで買うんだよ、と言われそうだが、通過儀礼に等しいものがある。もしくは、日本人同士が異国の地で相互確認するためのものかもしれん。だったら、文通欄のようなものがあってもいいような気もするぞ。

あとは飛行機とホテルの予約だ。豚インフルエンザと不況の影響か飛行機のチケットはそれほど高くない。ヨーロッパまで往復550ドルくらい。日本から行く事を考えるとかなり安い。ホテルも「3泊すると3日めはタダ」みたいなホテルが結構ある。商売の方法がいまいちよくわからんが、とってもお得な気分だ。

最後に、どうやってこの資金を捻出するかを考えねばならん。毎日マクドナルドなら大丈夫だろうか?もしくは一日2食にするとか。酒をやめるつもりは毛頭ないしなあ。うーむ、悩ましい。
ああ、その隙にもう心の中のスナフキンは旅立ってしまった。「おやおや、スナフキンさん、どうしたんですか?」というナレーションとともに。

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徒歩よりまうでけり

というわけで(どういうわけだ?)、フィラデルフィア観光二日目。

さて、歩いて向かった先は岩清水八幡宮、ではなくて自由の鐘(リバティーベル)。1750年くらいからあるらしいこの鐘は、独立宣言の夜にも打ち鳴らされ、アメリカ独立を皆に知らしめたり、大火事があった時には避難を促すために打ち鳴らされたり(嘘)、アイスクリーム屋がやってきた時にも知らせるために鳴らされたという(嘘)。
「この鐘が、独立と自由の象徴のリバティーベルなんだね、おじいさん」
「そうじゃよ、これはお前のひいひいひいひいひいひじいさんが独立戦争で戦った事も、ひいひいひいじいさんが、南北戦争で戦った事も、わしが日本と戦った事も全部知っているんじゃよ。」
「そうか、すごい鐘なんだね。最後にこの鐘が見られてよかったよ、、、もう疲れたよ、パトラッシュ。少し眠ろう」
そしてネロ少年は天国へと旅立ったのであった。

みたいな感動はやはり感じられないのである(なんか話が混じってるが)。だって、アメリカ人じゃないし(もちろんネロでもパトラッシュでもない)。もし、独立戦争オタク(?)で、事細かに独立宣言書や憲法の作成などについて、もしくはワシントン(元浦和レッズの方ではない)の趣味や好きな食べ物、案外すね毛は薄い方なのかしら?などという事について何時間でも語り続ける事ができるというならば、そこには感動はあるのだろうけれども、やっぱり日本人だし、ねえ。ただ、同時にちょっとうらやましくもある。ちゃんとした独立と建国の歴史があるというのは国民としての誇りとか、統一感のようなものを生む気がする。日本で「日本が好きだ」と堂々と言うのは少々憚られる感じもするし。

そしてまだまだ歩き続ける。この辺はいわゆる見所が固まってるので、移動手段はもっぱら徒歩、もしくは馬車だ。観光用の馬車はたくさんいて、「お上りさんだねえ」って思われてるに違いないよ、だってみんなこっちを見てるもん、というような気恥ずかしさと馬臭さと同居しながら市内観光を楽しむことができる。もちろん御者の観光案内つきだ。英語だけど。こっちにいる間に一回くらいは試してみたいもんである。高いけれども。

そして、さんざん歩き回ってへとへとにさせたあとにようやく昼食だ。もちろん、ここにきたら絶対食べないと行けないフィラデルフィア名物、チーズステーキ。最初ここに来る前は、チーズステーキの名前から、ステーキの上にとろけるチーズがのっかった、ガ◯トとかで食べられそうなものを想像してたんだけれども、ホットドッグのパンに、薄切り肉が挟まって、溶けたチーズがかかったのがそれだった。肉のうまみと、チーズの風味、胡椒のぴりっとしたアクセントが口の中で渾然一体となって、、、、というのは最初だけ。サイズがでか過ぎるのだ。小柄な日本人には食べきれません。そして味が単調。最後の方は、いろいろ味にアクセントを付けて楽しんだけれども。まだまだアメリカ人にはなれそうにもありません。

最後にペンシルベニア大学の周辺を少し案内して、K夫婦はニューヨークへと帰っていった。なんかえらく疲れてたせいか、そのあと家のソファーの上で爆睡。
ずいぶんと盛りだくさんになってしまったが、いろいろ楽しんでくれたらしい。

すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。

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フィラデルフィアはとバスツアー

ニューヨークからKがやってきた。大学に入って以来の付き合いだから、もう15年、、、にもなるのか!まあ、卒業しちゃってからは1年に一回くらいしか会ってなかったし、今回も2年ぶりなんだけれども。このくらいの年になると、2年くらい会わなくってもそんなに変わりませんな。しかも、ポスドクなんて仕事やってると何となくあまり年を取らないような気がする。もうちょっと世間の荒波、もしくは、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車にもまれた方がいいのかも。

どこに連れて行こうか?と考えたものの、はとバスでいくような感じのところ(どんなところだ?)がいいなあ、というリクエストだったので、まずは美術館へ行く事に。美術館は、もちろんおっきくてすばらしいのだけれども、やっぱり見所は正面玄関の階段。実は(ってほどでもないが)映画の中でロッキーがトレーニングで駆け上がる階段なのだ。もちろん、山のようなロッキーもどき。この中から未来のチャンピオンが育つに違いない、と、かつてロッキーを育てたミッキーは思うのであった(完)。

と思ったが、まだまだ続く。そして、その階段の傍らには、ロッキーの銅像があって、もちろん観光客まみれ。アイスクリームに群がるアリか?ってくらいうじゃうじゃいる。しかもこの銅像、シルベスター・スタローン制作らしい。そして、「これを飾れ」、と言わんばかりに置いていったのだという。自分好きにもほどがある。当然のようにその銅像と一緒に写真をとってあげた。そうだ、拳を突き上げるのだ、ロッキーの用に。え、僕はそんな写真撮った事ないですよ。だって恥ずかしいじゃないですか。大体住んでるから観光客じゃないし。

そのあと、街をふらふらっと歩いたあと、夕御飯を食べにうちの近くのイタリアンのお店にずいっと突入。以前、たまたま入ったら美味しかったお店だったのとBYOBだったから。まだ早い時間だったから席は空いてたのだけれども、「予約はしてるのか?」と。よく見てみると、ザガットのシールがぺたぺた貼ってある。うーむ、人気の店だったのか。前は月曜だったからかガラガラだったのに。なんとか席を用意してもらい、食べきれるのか?とちょっと不安になるくらい注文。とにかくよく食べ、よく飲む。持っていった2本のワインも瞬く間に空に。半分くらい飲んだかもしれん、すまぬ。店員のお兄ちゃんも愉快な人で、なぜか知ってる片言の日本語でがんがん話しかけてくる。ちょっとうざい。しかし、よく日本人だってわかったもんだ。この街だと、アジア人はかなりの確実で中国人か韓国人なのに。それとも、あたりかまわず日本語で話しかけてて、15連敗中だったとか。気にしなさそうだもんな、間違ってたとしても。

レストランから出てもまだ明るかったし、まだ飲み足りなかったので(いくら飲む気なのだ?)、うちで飲み直す事に。いやいや、よく飲んだ。途中から、全く関係なく友達Bもやってきてとにかく飲む。Kはあまり飲まないので、カルビスソーダを与えておいた。Kの奥さんはKがあまり飲まないのがつまらないらしいけれども。最終的にはまぶたが重力に抗えなくなってきた。「30分くらい前から目がほとんど開いてないぞ」と指摘されようと、無理なものは無理なのだ。大丈夫、はなしは聞いている。覚えているかは定かではないが。

そんなこんなで、一日めの夜は更けていくのであった。

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ポスドクホイホイ

先日、ポスドク一人にに500万という記事を見つけました。「えっ?500万もらえんの?これも一種の経済対策?」とか思ったものの、そんな虫のいいはなしもなかろう。さては、ポスドク1万人計画って言って、後先考えずにポスドクを増やしすぎて、その後の処遇に頭の痛い文科省が、
「田中くん、ポスドクの件なんだけれどもねえ、なんとかならんかね。このままだと無計画だったと叩かれかねんだろう」
「このような手はどうでしょう?ポスドクを何かしらのエサで釣ってですね、そうですね、彼らが欲しいのはポジションか金ですから、そのようなものでうまいことおびき寄せて」
「一網打尽にする」
「おっしゃる通りです」
「田中屋、おぬしも悪よのう」
「いえいえ、お代官さまにはかないませぬ」
「ワハハハハ」
深夜の文科省に怪しい笑い声が響くのであった。
なんてことだったらどうしよう?そんなわけないか。と思いつつ、記事を読んでみると、企業がポスドクを一人雇うと国が持参金として500万くれるらしい。なんと!もうお嫁に行くのにも持参金なしでは貰い手がないのね、と少々ショックを受ける。おかしい。まだまだ、いくらでも言い寄って来る人がいて、
「まだまだ、結婚なんかする気ないから、龍の首の珠とか、蓬莱の玉の枝とか持ってきなさいよ」
なんて言って体よく(?)断りたいくらいだったのに。
俺たちに明日は、ある?

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妄想力

 先週からボスが海外出張なので、研究室内を全くもってリラックスした様子でふらふらしてたら(別に酔っぱらってるわけじゃないのですよ)、いるはずのないボスの声が聞こえるではないですか。何事?と思って、そーっと様子をうかがいながら近づいてみると、何とSkypeで他の人と話しているところであった。何とも気が抜けない。技術の進歩も功罪である。もしかしたら、その辺に隠しマイクとかしかけられているのではなかろうか?さぼったりしてないか確認のために。おお、怖い、くわばら、くわばら。

 先日、友人のBとバーでビールを飲みながら話してる時に、こんなはなしになった。
「日本で、逮捕されると、会社の名前も報道されるよね。あれなんで?」
「まあ、社員は会社の一部だからねえ」
「でもさあ、例えば、HO○DAの人が捕まったらHO○DA勤務の○○容疑者が逮捕されました、とかって言うじゃない。僕は、HO○DAの車乗ってるけれどもさあ、それと車とは関係ないでしょ?」
「日本じゃ会社はそういうのにも責任持たなきゃだめなんだよ」
「私生活と、仕事は関係ないよ」
まあ、確かにそうだ。でも、確かに日本じゃ何か肩書きなり所属が個人の名前よりも先行してる気がする。そのときはよく理由がわからなかったけれども、後から考えてみると、個人の名前だけじゃ妄想するには不十分なのだ。
 
 例えば、HO○DA(何回もたとえに出してるけれども、他意はないのですよ)の工場で働いてる人が、強盗なんかで捕まってみたら、
「ああ、最近不景気で車売れないしねえ。多分、工場も閑散としてるんじゃないかなあ。住宅ローン抱えて、家に帰ったら、まだ幼い子供が二人。悪い事なのはわかるけど、気持ちもわかるなあ」
とか想像できるぞ。何の根拠もないけれども。

 他にも、22歳、飲食店勤務の女性が深夜に事件に巻き込まれたら(かなりの確率でキャバ嬢だ)、
「あの、これもらってもらえないかな?」
小太りの冴えないサラリーマン風の男は、そう切り出し、ポケットの中身をそっと差し出した。
「え、ホント?田中さん、いっつも、ありがとうheartねえ、開けてもいい?」
「もちろんだよ。見てみてよ」
男は、緊張した様子でそう答える。緊張のあまり、額に汗がにじみ出ている。
「わぁ、あたしの誕生石覚えててくれたのね。サイズもぴったり」
女は右手の薬指にそれをはめ、微笑んだものの、目の奥は冷めていた。
「そろそろ潮時かしらねぇ。もうちょっと搾り取ったら、サヨナラね(笑)」
男は、右手にハンカチを握りしめ、
「出来れば、左手にしてほしいんだ」
さらに、滝のように流れ出る汗をこれでもか、これでもかと拭いつつまくしたてる。
「あ、あのね、ユリカちゃん。結婚してほしいんだ。あ、ウン、もちろん、奥さんとは別れるよ。大丈夫。なんて言うのかなあ、その、、、君がいないとだめなんだ。だから、、、」
女は遮るように、
「えっ、ちょっと待って、田中さん。あのね、私、まだ若いし、結婚とか考えられないし(つーか、誰があんたと結婚なんかするかってーの)。ねえ。」
「大丈夫だよ、幸せにするよ。」
「そういう事じゃなくって、、、」
「もし結婚してくれないっていうんなら、君を殺して、僕も死ぬ」
ジャン、ジャン、ジャーン。
みたいな、火サスもどきのワンシーンを妄想する事も可能なのだ。
ちなみに、コマーシャルがあけたあと、奥さんが「この泥棒ネコ!」とか言いながら登場する予定だが、めんどくさいので、もう書かぬ。すまぬのう、ぐうたらで。
 
 すなわち、多くの日本人は古来よりこのようにして肩書きを利用し楽しんでいるのである(本当か?)。そう、妄想はタモリや、関根勤の専売特許ではないのだ。そして、その凄まじき妄想力を持ってすれば世界征服も可能なのだ(妄想)。


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号泣する準備はできていた

 先日映画を見てきました。その名もずばり「トウキョウソナタ」。日本映画です。ニューヨークでもカリフォルニアでもなく、ここフィラデルフィアで日本映画が見られるってのは素晴らしい。監督は黒沢清、出演は香川照之、小泉今日子、役所広司、、、泣くかなあ?泣かないかなあ?とりあえずポケットティッシュは持っていった方がよさそうだ、と思い、いそいそと家を出る。

 映画館についてみると、案の定95%はアメリカ人。こんな状況で日本映画を見るのも滅多にない機会なんだけれども、何となく不安がよぎる。果たして、その不安は的中したのであった。

 皆さん、リアクションが大きいのです。「あのぅ、家のリビングでテレビ見てるんじゃないんですよぉ」、って忠告したくなるくらい皆さんいいリアクションをしてくれるのです。感情移入してるんだろうか?かわいそうなシーンでは「Oh...」みたいなため息が聞こえる。うんうん、お父さんがリストラされて、ハローワークで無下に扱われたらかわいそうだよね。わかりますよ。でも、その気持ちはそっとあなたの心の中だけにしまっておこうね。とか言いたくなるのだ。

 あと、笑うポイントが違う。「何でそこで笑うわけ?」という部分が多数。台詞を完全に字幕にしてあるわけじゃないから、しょうがないのかもしれないけれども。転んだりするシーンなんかで爆笑してるおっちゃんがいた。バナナの皮で滑って転んだりしたら笑いが止まらなくなっちゃうのではないのか、このおっちゃん?

 映画全体としては、「現代日本」を抽出して、濃縮したようなシーンを見させられたような気がします(あえてそうしているのだろうけれども)。希望がないのだよ、この国には(泣)。ラストシーンは希望があるような気もするけれども、なんか不安定そうだなあ、と先行きの不安も感じるし。

 で、うちの嫁はこの映画にキレる。
「何で、現状に不満があるなら変えようとしないわけ?」
「まあ、日本人だしねえ」
「だからだめなのよ!いまの状況から抜け出したかったら、自分で行動しなきゃだめでしょ」
肉食系女子の権化のようなうちの嫁の発言を、草食系男子の権化のような私は適当に聞き流すのであった。

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